少し前のことになりますが…
加治木高校に加治木高等女学校(以下、加高女)の校歌を作詞された「森山キクさん」という方の姪御さんから、加高女の歌詞が3番まであるらしいのでその歌詞を知りたいと連絡がありました。
ちなみにその姪御さんは東京在住の旧姓 森山市子さんという方で、中学校2年生まで加治木で生まれ育った方だそうです。(ご本人からお名前の記載の許可はいただいております)
いつも加高女の校歌を目にするときは1番のみ、音源も1番のみ、もちろん校歌旗もあらゆる資料に記載されているのも1番のみ。
3番まであったことも全く知らず、そんな話も聞いたことがなく、事務局としては3番までの歌詞を発掘できるか、半分は無理かもしれないという気持ちでおりました。
改めて森山市子さんとお話する機会を設け、実際にお話をさせていただいたところ、加高女の校歌を作詞された森山キクさんは幼いころに実母を亡くし、ご本人もとてもお若くしてお亡くなりになられたとのことでした。お父様とはとても年の離れた姉弟で、お父様自体もキクさんの記憶はほとんどなかったそうです。
ですが、市子さんの伯母さまから兼ねがね
「森山キクさんが加高女の校歌を作詞している。同郷の人からよく言われるのよ」
と聞かされていたそうです。
ご苦労が多く、最後は大きな病で短い生涯を閉じられた森山キクさんへの思いをひしひしと感じた我々事務局は、どうにか3番まである歌詞を発掘しよう!と、同窓会館の龍門会館に残っている資料の大捜索をしました。過去の創立記念誌、幽芳会(加高女同窓会誌)等読み漁りましたが見つかりません。
これはもう見つからないかもしれない…
と思いつつ、ある日もう一度捜索しよう!と意気込んだところ、すぐに近くに「加高女校歌作詞者について」というファイルを発見!
灯台もと暗し、とてもわかりやすい場所に保管してあり、過去に事務局を務めてくださっていた先輩方に感謝した瞬間でした。
つづく…